ご存知の前世界では大きな災害がありました。
トルコの大地震。死者3万を超えて、東日本大震災以上の被害になっています。これ以上被害が広がりませんように。そして亡くなった方々の痛みが少しでもやわらぎますようにと願っています。
迦音では、トルコ南部で起きた地震の被災地と未だ復興の過程にある東日本大震災により被害を受けた方を支援するため、日本人が忘れられない日3月11日に、バシャン会を開催いたします。
日本とトルコはあまり関わりがないように感じる人もいるかもしれませんが、トルコは親日国家といわれており、日本とは歴史的交流が深い国です。
日本とトルコが交流するきっかけに「エルトゥールル号遭難事件」があります。映画にもなっています。
日本とトルコの交流の深さがわかるエピソードは他にもあります。日本とトルコの交流の深さがわかるエピソードは他にもあります。イラン・イラク戦争の際、トルコ航空が日本人を救出した出来事です。
事件が起こったのは1985年のことでした。当時イラクの大統領だったサダム・フセインは「イラン上空を飛ぶ飛行機のすべてを48時間後に撃ち落とす」という恐ろしい宣言をしたのです。飛行機のすべてとは外国籍の旅客機も含まれることになります。イラク国内に滞在中のすべての外国人は帰国ができないことでパニックに陥りました。このとき、多くの国では救援機を派遣して自国民の救出に当たりました。ところが、日本人だけがテヘラン空港に取り残されてしまいます。理由は、憲法違反を危惧した日本政府が、自衛隊機での救助をできずにいたからです。
他国の人々は次々と救出される中、216名の日本人だけがテヘラン空港に取り残されます。タイムリミットが近づく中、1機の救援機がテヘラン空港に着陸しました。それはトルコ航空でした。トルコもイラクに国民が残っていましたが、自国民ではなく日本人の救出を優先したのです。そして無事に日本へ脱出し、全員が無事に帰国を果たすことができました。
このとき、イラク国内に残っていたトルコ人は500名で、救援機に同乗することは無理だったのです。残されたトルコ人は陸路でイラクを脱出しました。自国民を置いて日本人を救援することは、通常であれば非難の対象になってもおかしくはありません。しかし、この行動はエルトゥールル号での恩返しといわれ、非難する者はいなかったとされています。
トルコ航空が日本人を救出してくれた理由として、当時の駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は、「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」と答えたそうです。
そして2011年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの国から救援物資が届けられました。中でも、トルコからの支援は手厚いものでした。32名の救助隊に18.5トンの飲料水、さらに豆やツナなどの缶詰が約6万8800個、そして約5000枚の毛布が届けられたのです。そのうえ義援金として1,600万リラと、ニューヨークのトルココミュニティから3万ドルも寄付されました。その他にも、トルコ大使館ではトルコの高価な工芸品を集めてのチャリティーバザーが開かれています。
日本には江戸言葉で「ご恩送り」という言葉があります。恩がえしと言えば、誰かに親切にされたらその人に対して親切をお返しする。以前貰った恩をお返しする。それも非常に大切ではありますが、言えば、ギブアンドテイク的な考えです。
「ご恩おくり」という行為は、見返りを期待したり、恩を受けたその相手に返すものではなく、他の誰かに送る。そうすると、ご恩が世の中をぐるぐると回って、そこから「お互い様」や、「お陰様」という言葉が生まれ、考えが充満するというものです。つまりは、受けたご恩を、次々とバトンタッチしていく行為なのです。
仏教では、「四恩」といいます。人が生を受けて誰もが受ける四つの恩を言いますが、その中の一つに衆生の恩とあります。これは、自分の周りの生きとし生けるものすべてから受ける恩恵のことです。私たちが今生きているのは、とても送りきれないご恩という恩恵に預かっている事といえます。大変な災害や尊い命が失われている現実を目の当たりにして、救われた方々やまた復興していく過程にある方々全てに「恩おくり」をさせていただける機会を私たちは頂いたのだと思います。